皆さんは自分の住む街は好きですか?
ハワイ移住の遠いきっかけはそもそも私の育った街の色濃い影響があります。
ふるさと自慢もかねて、
今日は私の話しをのんびり聞いてください。

神奈川県横須賀生まれの私は自分の住む街がふるさとだから、
という当然の理由無くしても
地元大好き少女でした。
昭和の名作、NHKの少年ドラマ(昔むか〜し、国営放送局では毎夕6時5分から少年少女向けにドラマを放映していた)
に新田次郎の少年小説「つぶやき岩の秘密」というのがあり
毎日夢中でテレビに釘付けでした。
その舞台になったのが三浦半島のはずれであり
ご近所で撮影されたというだけでワクワクしたものです。

当時住んでいた市営住宅のあった高台からは海が一望でき
通った中学校は全教室ハーバービューという贅沢な
横須賀市立田浦中学校。
この学校は後にTBSドラマ「LIVE」や「タンブリング」の舞台にもなり風光明媚な環境にあります。

途中、高校生で移り住んだ横浜もまたまた魅力的な街で、
三浦半島全体が自分の庭であり
ご近所さんの葉山・鎌倉などの湘南はアソビを覚えたばかりの少女には遊びきれないワイルドさがあり、
週末が待ちきれないほどでした。
これほど海とは切っても切れない育ちですから
きっと一生海の見える所に住むんだろーなぁ、とチューボーの頃には予言しておりました。
(まさかハワイに住むとはこの時はイメージせず)

私が高校生だった1970年代の横須賀は米軍の街で
今ではすっかり観光地になった米軍基地の前には通称ドブ板通りがあり
米兵のぶら下がりのお姉さんたちがたむろするちょっとアヤシげな通りだったのを覚えています。
その横須賀の繁華街には小さな複数上映の映画館がいくつかあり
雑居ビルの中の席数40席ほどの(!)ちょーこじんまりした映画館には
学校さぼってひとりで制服姿でよく通いました。
(良い子のみなさんはしちゃダメよ)
当時からエキサイトメントを渇望していた冒険少女にとっては
学校生活が退屈だったのかもしれません。

その横須賀中央駅前の映画館にはいつも前列に米兵が何人も陣取っていて
煙草をくゆらし、前の席に長い足を放り投げてかっなり自由な、ってか
スッゴイお行儀で観賞していたのです。
彼らの笑い声や歓声はさわがしくおおらかで、
スクリーンのヒロインに応援の声を上げるほどです。
(ゴールディー・ホーンが大男をメリケンサックで殴るシーンで「Go Girl!」って爆笑してたし)

アメリカにどっぷり浸かっているかのような錯覚を覚醒してくれるのは
日本人とその米兵たちの笑うツボが全く違うことでした。
字数制限のある字幕ではジョークは伝わりにくいと思いますが
その時見たコリン・ヒギンズの「ファール・プレイ」はアメリカ人にはバカ受けしてました・・・
彼らが椅子から転げ落ちんばかりに爆笑するそのジョークは
字幕を必至で追う私たちにはまったくおかしくなく、
ちょー口惜しー思いで映画館を後にし、
絶対アレを理解できるようになってやる!と16の乙女は決心したのです。

この「ファール・プレイ」という映画のセリフの絶妙な言葉遊びというか
語呂合わせがミステリーのヒントになったり
オトナのスパイシーなジョークになっているのを理解できるようになったのは
ハワイに渡って間もなく、
実にその映画を初めて見たあの日から10年もの月日が経ったころでした。
横須賀の場末の映画館で一人サボって過ごしたあの時間がなかったら
今でもこんなに頑張って英語を勉強してなかったかもしれないなぁ。

未だに少々ベタな地元、横須賀ですが
あの環境で育ったが故に今の私がハワイにあるのだと思うのです。
その後なぜ横浜の主婦が子連れでハワイに移住してしまうかは
とてもこのブログでは書ききれないのでまたの機会ということで・・・
もう一つのブログ
「天国の海ギャラリー」に
お客様からのYOUTUBE 映像が届いています。

出演兄弟の笑顔がサイコーです!!!
リピーターのお客様の思い出アルバムを
ちょっと覗いてみてください!
本日は過去のお蔵写真からお送りしました。
マック、壊れた・・・
マウンテンライオン,
ダウンロードしたら
ナンカいろいろ変. orz...
ハワイ移住の遠いきっかけはそもそも私の育った街の色濃い影響があります。
ふるさと自慢もかねて、
今日は私の話しをのんびり聞いてください。

神奈川県横須賀生まれの私は自分の住む街がふるさとだから、
という当然の理由無くしても
地元大好き少女でした。
昭和の名作、NHKの少年ドラマ(昔むか〜し、国営放送局では毎夕6時5分から少年少女向けにドラマを放映していた)
に新田次郎の少年小説「つぶやき岩の秘密」というのがあり
毎日夢中でテレビに釘付けでした。
その舞台になったのが三浦半島のはずれであり
ご近所で撮影されたというだけでワクワクしたものです。

当時住んでいた市営住宅のあった高台からは海が一望でき
通った中学校は全教室ハーバービューという贅沢な
横須賀市立田浦中学校。
この学校は後にTBSドラマ「LIVE」や「タンブリング」の舞台にもなり風光明媚な環境にあります。

途中、高校生で移り住んだ横浜もまたまた魅力的な街で、
三浦半島全体が自分の庭であり
ご近所さんの葉山・鎌倉などの湘南はアソビを覚えたばかりの少女には遊びきれないワイルドさがあり、
週末が待ちきれないほどでした。
これほど海とは切っても切れない育ちですから
きっと一生海の見える所に住むんだろーなぁ、とチューボーの頃には予言しておりました。
(まさかハワイに住むとはこの時はイメージせず)

私が高校生だった1970年代の横須賀は米軍の街で
今ではすっかり観光地になった米軍基地の前には通称ドブ板通りがあり
米兵のぶら下がりのお姉さんたちがたむろするちょっとアヤシげな通りだったのを覚えています。
その横須賀の繁華街には小さな複数上映の映画館がいくつかあり
雑居ビルの中の席数40席ほどの(!)ちょーこじんまりした映画館には
学校さぼってひとりで制服姿でよく通いました。
(良い子のみなさんはしちゃダメよ)
当時からエキサイトメントを渇望していた冒険少女にとっては
学校生活が退屈だったのかもしれません。

その横須賀中央駅前の映画館にはいつも前列に米兵が何人も陣取っていて
煙草をくゆらし、前の席に長い足を放り投げてかっなり自由な、ってか
スッゴイお行儀で観賞していたのです。
彼らの笑い声や歓声はさわがしくおおらかで、
スクリーンのヒロインに応援の声を上げるほどです。
(ゴールディー・ホーンが大男をメリケンサックで殴るシーンで「Go Girl!」って爆笑してたし)

アメリカにどっぷり浸かっているかのような錯覚を覚醒してくれるのは
日本人とその米兵たちの笑うツボが全く違うことでした。
字数制限のある字幕ではジョークは伝わりにくいと思いますが
その時見たコリン・ヒギンズの「ファール・プレイ」はアメリカ人にはバカ受けしてました・・・
彼らが椅子から転げ落ちんばかりに爆笑するそのジョークは
字幕を必至で追う私たちにはまったくおかしくなく、
ちょー口惜しー思いで映画館を後にし、
絶対アレを理解できるようになってやる!と16の乙女は決心したのです。

この「ファール・プレイ」という映画のセリフの絶妙な言葉遊びというか
語呂合わせがミステリーのヒントになったり
オトナのスパイシーなジョークになっているのを理解できるようになったのは
ハワイに渡って間もなく、
実にその映画を初めて見たあの日から10年もの月日が経ったころでした。
横須賀の場末の映画館で一人サボって過ごしたあの時間がなかったら
今でもこんなに頑張って英語を勉強してなかったかもしれないなぁ。

未だに少々ベタな地元、横須賀ですが
あの環境で育ったが故に今の私がハワイにあるのだと思うのです。
その後なぜ横浜の主婦が子連れでハワイに移住してしまうかは
とてもこのブログでは書ききれないのでまたの機会ということで・・・
もう一つのブログ
「天国の海ギャラリー」に
お客様からのYOUTUBE 映像が届いています。

出演兄弟の笑顔がサイコーです!!!
リピーターのお客様の思い出アルバムを
ちょっと覗いてみてください!
本日は過去のお蔵写真からお送りしました。
マック、壊れた・・・
マウンテンライオン,
ダウンロードしたら
ナンカいろいろ変. orz...
引っ越してからというもの、
怒涛の中を突っ走ってきました。
大げさな、と思うでしょ。

今だから話せる衝撃の事実、・・・・あのこと、このこと。
もう仕事と引越しの両立は無理と踏んだマダムは
急遽引越し一週間前から(年老いた、でもめっちゃ元気な)実家の母に手伝いを頼みはるばる横浜から呼び寄せました。
ところが戦中派のマダムのママンは「捨てられない病」だったのです。
(昔からうすうす気がついていたけど・・・苦笑)
家の広さが3分の1になるって、
持ってるものの3分の2を処分するってこと。(涙)
引っ越してみたら処分したはずのモノがたくさんあふれているのです!
捨てたはずのアレもコレも母の命令で引越しやさんが
全部運んでくれてました(落涙)。
新居はまだまだダンボールであふれかえって、
ちっと窮屈です・・・(号泣)
しかも、この死にそうに忙しい人生最大の引越しの最中に
夫が急遽、少し折れた鼻の手術をすることに。
夫から手術の話を聞いたときは耳を疑いましたが・・・・
「オペレーション?!!ゥワァット?????!!!!!!ナァウ??????」ってな感じで
どうして今なのよ~~!!!と心の中で叫びました。
一泊だけの入院でしたがなかなか回復に時間がかかり
いろんな症状を併発してドクターもびっくりさせたりするお騒がせな夫でした。(笑)
(私も死ぬかと思った!今は術後10日経ち、もう元気)
そんなこんなでいまだに旧宅に片付けに通う毎日です・・・
ちっちゃいけれどホッとする今の家は夜になると
プルメリアの香りが強烈に漂い、
甘い風にめまいがするほど。
風の強い夜は椰子の木のざわめきでテレビの声が聞こえないことも。
週末の夜、釣りにでも出かけるのでしょうか、
カタカタとエンジンを鳴らして行くボートを遠目で見送りながら、
ご近所さんの近さに苦笑しつつ、
夫婦の第二ステージが始まってるのをひしひしと感じています。
怒涛の中を突っ走ってきました。
大げさな、と思うでしょ。

今だから話せる
もう仕事と引越しの両立は無理と踏んだマダムは
急遽引越し一週間前から(年老いた、でもめっちゃ元気な)実家の母に手伝いを頼みはるばる横浜から呼び寄せました。
ところが戦中派のマダムのママンは「捨てられない病」だったのです。
(昔からうすうす気がついていたけど・・・苦笑)
家の広さが3分の1になるって、
持ってるものの3分の2を処分するってこと。(涙)
引っ越してみたら処分したはずのモノがたくさんあふれているのです!
捨てたはずのアレもコレも母の命令で引越しやさんが
全部運んでくれてました(落涙)。
新居はまだまだダンボールであふれかえって、
ちっと窮屈です・・・(号泣)
しかも、この死にそうに忙しい人生最大の引越しの最中に
夫が急遽、少し折れた鼻の手術をすることに。
夫から手術の話を聞いたときは耳を疑いましたが・・・・
「オペレーション?!!ゥワァット?????!!!!!!ナァウ??????」ってな感じで
どうして今なのよ~~!!!と心の中で叫びました。
一泊だけの入院でしたがなかなか回復に時間がかかり
いろんな症状を併発してドクターもびっくりさせたりするお騒がせな夫でした。(笑)
(私も死ぬかと思った!今は術後10日経ち、もう元気)
そんなこんなでいまだに旧宅に片付けに通う毎日です・・・
ちっちゃいけれどホッとする今の家は夜になると
プルメリアの香りが強烈に漂い、
甘い風にめまいがするほど。
風の強い夜は椰子の木のざわめきでテレビの声が聞こえないことも。
週末の夜、釣りにでも出かけるのでしょうか、
カタカタとエンジンを鳴らして行くボートを遠目で見送りながら、
ご近所さんの近さに苦笑しつつ、
夫婦の第二ステージが始まってるのをひしひしと感じています。
え、もう一週間経ったの!

あの、まだえんえんと引越ししております。
何せ、140坪の家から40坪への引越しです。
何もかもコンパクトで処分するもののハンパじゃない量…
家具もほとんどを知り合いに譲ったり売ったり。
愛する我が子を嫁にやるような気分で差し上げてます。
新しいご近所さんたちはそれを慰めるかのように皆さんスーパーナイスで
すぐに10軒分くらいのペットを含む家族構成リストを作っちゃいました。
みんな、名前を言って自己紹介してくれるもんだから覚えるために必要で!
夫婦で散歩しててお庭の手入れしてたオジさんに「ステキなお家ね!」って言ったら寄って行きなよ、って家に引き入れてくれたりしちゃうし
このご近所さんだったらゼッタイ孤独死しなさそうです。
今日のアンティ・アキコのレポートはスミマセンがこの辺にて失礼!

あの、まだえんえんと引越ししております。
何せ、140坪の家から40坪への引越しです。
何もかもコンパクトで処分するもののハンパじゃない量…
家具もほとんどを知り合いに譲ったり売ったり。
愛する我が子を嫁にやるような気分で差し上げてます。
新しいご近所さんたちはそれを慰めるかのように皆さんスーパーナイスで
すぐに10軒分くらいのペットを含む家族構成リストを作っちゃいました。
みんな、名前を言って自己紹介してくれるもんだから覚えるために必要で!
夫婦で散歩しててお庭の手入れしてたオジさんに「ステキなお家ね!」って言ったら寄って行きなよ、って家に引き入れてくれたりしちゃうし
このご近所さんだったらゼッタイ孤独死しなさそうです。
今日のアンティ・アキコのレポートはスミマセンがこの辺にて失礼!
ムスメの成人式忘れてました、2年ほど・・・
ギャーーーッ!!
娘と同学年の姪から成人の日の写真が届いたのは1年半ほど前のこと。
あれれ、ウチもやってやんなきゃ、と思っていたのですが
ロスアンジェルス在住の娘となかなか都合が付かず
昨年秋にやっと日本に同時帰国。
先撮りならぬめっちゃ後撮りで、
恥ずかしながら2年遅れの振り袖姿をカメラに収めて来ました。

遅れたおかげで(^^;)父母の金婚式と重なりちょうど良かったーー!!
息子たちが生まれた時からお世話になっている横浜そごう写真館で。
私は母と身長が30cm近く違うので裄(ゆき)も足りなくて
母の着物は残念ながらどれも着ることが出来ませんでしたが
娘は私がン十年前に着た振り袖がぴったりでホッ。

一番楽しかったのは撮影前にそごうの売り場で髪飾りを母娘二人で選ぶひと時♪
あれもこれも可愛くて二人で悲鳴を上げながら選ぶ楽しさよ!
女の子を育てる喜びを堪能しました、ぐふふ。
記念に女子3世代で京都へお祝い旅行♪ 嵐山の松籟庵(しょうらいあん)へ。
戦前、近衛文麿の別荘だったというこの料亭は
昭和初期のロマンただようステキなたたずまい。
まるでタイムスリップしたかのような空間です。

とても京都らしい癒しの空間、別世界のよう。
お隣はそれこそ別世界の吉兆さん。
門前でイケメンな門番の方と。

今年成人式をお迎えになる皆様、
あなたの未来が希望と成功に満ちたものであることを心からお祈りしてます!
*賢母のみなさまはお子様の成人式、忘れないでね。(るワケないか!)
ギャーーーッ!!
娘と同学年の姪から成人の日の写真が届いたのは1年半ほど前のこと。
あれれ、ウチもやってやんなきゃ、と思っていたのですが
ロスアンジェルス在住の娘となかなか都合が付かず
昨年秋にやっと日本に同時帰国。
先撮りならぬめっちゃ後撮りで、
恥ずかしながら2年遅れの振り袖姿をカメラに収めて来ました。

遅れたおかげで(^^;)父母の金婚式と重なりちょうど良かったーー!!
息子たちが生まれた時からお世話になっている横浜そごう写真館で。
私は母と身長が30cm近く違うので裄(ゆき)も足りなくて
母の着物は残念ながらどれも着ることが出来ませんでしたが
娘は私がン十年前に着た振り袖がぴったりでホッ。

一番楽しかったのは撮影前にそごうの売り場で髪飾りを母娘二人で選ぶひと時♪
あれもこれも可愛くて二人で悲鳴を上げながら選ぶ楽しさよ!
女の子を育てる喜びを堪能しました、ぐふふ。
記念に女子3世代で京都へお祝い旅行♪ 嵐山の松籟庵(しょうらいあん)へ。
戦前、近衛文麿の別荘だったというこの料亭は
昭和初期のロマンただようステキなたたずまい。
まるでタイムスリップしたかのような空間です。


とても京都らしい癒しの空間、別世界のよう。

お隣はそれこそ別世界の吉兆さん。
門前でイケメンな門番の方と。

今年成人式をお迎えになる皆様、
あなたの未来が希望と成功に満ちたものであることを心からお祈りしてます!
*賢母のみなさまはお子様の成人式、忘れないでね。(るワケないか!)